ŹOOĻは悪くないのか?

時々、見かける言葉がある。

ŹOOĻは悪くないという言葉だ。

 

9割9分の人は、ŹOOĻは悪いことをしたという認識だろう。

ただ、ほんの少しŹOOĻは悪くないと本気で思っている人がいる。

そして、少数でもそう思っている人がいることに対して危惧を感じる。

 

ŹOOĻを嫌えと言っているわけでは無い。

人間として複雑に魅力的に書かれている。

だから、好きなのも分かる。

 

ただ、やったことは悪いことである、と認識が必要では無いかと思う。

でなければ、自分が傷つけられたなら、仕返しをしていいことになってしまう。

 

アイドリッシュセブンでは、悪いことをして捕まった例が少ない。

それこそ、テロリストぐらいで、日向は泥棒をしたが捕まらなかったし、ŹOOĻは監禁に加担したが捕まらなかった。

アイドリッシュセブンに勧善懲悪を求めているわけでは無いから、それで良いとは思っている。

 

しかし、アイドリッシュセブンはフィクションであり、どういった事情があろうとしてはいけないことがあるということを認識して欲しい。

監禁すると分かっていて、電話をする事は犯罪の加担である。

 

アイドリッシュセブンをしているほとんどの人は分かっていると思う。

ただ、分からない人が少数でもいることが問題であり、だからこそ、その人たちに、ŹOOĻが行った事は悪いことであった、と認識して欲しいために、この記事を書いた。

アイドリッシュセブンで価値観を曲げられ、将来を潰さない為にも。

 

アイドリッシュセブンは、良いストーリーで、キャラも惹かれるように書かれている。ただ、これは、フィクションなのだ。

 

願わくば、これが、ŹOOĻは悪くないと思っている人に届きますように。